職場関係の縁があって、とある音楽療法関係の講座に参加してきました。以前、当ブログで触れていたドイツのではなく、所謂「日本」の音楽療法です。講師の方は、とある協会の理事を務めていらっしゃる方なのですが、実は自分の仕事関係で近しい繋がりのある方ということで驚きました。

専門家の凄さ

講座では、先生の実践を元にお話や映像、そして実際に楽器を鳴らしてみるワークと盛りだくさんでした。

 

その中で繰り返し話に出てきたものは「療法ということ」、理論やプロセスを経て実践がある、ということでした。

 

私は、正直、日本の歌唱療法を中心とする「音楽療法」には興味はありません。しかし、ベテランの先生方が、仕事に、現場に、対象に、どのように心血を注いでいるのか、といったお話は大変勉強になります(なので、私は日本の協会という「組織」が受けつけないのかもしれない)。

 

餅は餅屋のワケ

お話の流れで非常に印象深いものがありました。

 

施設側や家庭の方から「こちらでもできる音楽療法はありませんか?」と尋ねられることがあるという。これに対しては、「あったら私達(療法士)は必要はないでしょう」と至極当然のお言葉。

 

歯医者の例えがとてもわかりやすく、「やり方を教えてもらって、治療を他人に自分で施せるか?」とのこと。音楽療法は、実際に現場での数十分以外に準備や記録などたくさんの時間を費やし行われます(リトミックだって同様です)。それを行えるのが専門家なのです。

 

話の続きで「たとえば歯医者さんは、患者に歯磨きの指導などくらいはアドバイスとして伝えられます。同様に、たとえば相手の好きな歌を一緒に歌ってあげたり、といった【療法的な】関わりを教えることはできます」とありました。そういった部分でも、上辺だけの方法ではなく、きちんと「こうだから」と根拠をもって伝えられるのが専門家なのでしょう。

 

他人が出来ないことをするのが「専門家」であり、必要とされるわけです。

 

自分の仕事に関して、気づきが得られた講座でした。