年に一回くらい、ふと思い出して自分の昔のブログを見たりするのですが、当時の青臭い(いまだに、ですが)様子が綴られており一人で苦笑したりします。

そんな中に一つの記事、「大失敗」をやらかしたその日に書いたであろうものがあり、それがなんだか気を引き締めさせられたので、こちらに載せておこうと思いました。

それを感じるのは当事者ならでは、だと思いますが、失敗による経験は何かしらのヒントになるはずです。

失敗による報酬(3年前の記事より)

失敗から何を学ぶか。

日々、指導案を作り、反省・記録をして、まだまだ足りないと思う部分は勉強をして次回へ望む…といったループを繰り返しています。

なぜ、こういった積み重ねをしていくのかと言えば、それはそれは「失敗」をしたくないからです。「失敗」は怖いです。

とはいえ「失敗」は次の場合、高確率でやってきます。

・新たな方向性に進もうと一歩出た時
・余裕がでた時

新しい事に挑戦する時は、自分の中の「経験値」が不足している場合がほとんどなので、大体、打たれます。ただ、これが弾みとなって次へ進めるので、正常なプロセスだと思います。

問題は、・余裕が出た時  これが危ない。要は「自分、天っ才。アレとコレをやればいいんでしょ」といった「出来ているつもり」状態です。この姿勢で現場に出ると、痛恨の一撃を貰う事があります。

ええ、もらいました。久々。思わず帰りのバイク走行中「あああああああやっちまったああああ」となりました。

悲劇を繰り返さないために、反省を整理してみました。

・たまに痛い目見ると、気付かされる。重要な、分かりきった原則を疎かにしていた事に。

→声掛け・指示の仕方、環境の構成、活動の流れ、必ずこうしなければならない、といった大原則があります。後で自分の行動を振り返ってみると、「そりゃあ駄目だわ」と言える箇所がいくつも出てきます。思えば、指導案作成の際「これで大丈夫でしょ」という慢心がありました。作成の際、「それで本当に大丈夫!?」と最低3回は疑ってかかり見直していく必要を感じました。

・原則は、現場での「今そこで、その時」の場面で無意識に対応できて初めて「理解」出来てるレベル。

→頭で分かっているだけでは身についているとは言えません。活動を進めながら、一つ一つ行っていることを意識して、無意識に身体が反応していける位までに落としこんでいく必要があります。

・なぜ、失敗と感じるのか?自分の「期待値」と結果(子どもの反応)の差から生じるのでは?

→活動が終わった後、落胆して事務所に戻ると(児童館、相手は小学生でした)、職員の方は「すごく楽しそうに戻ってきてましたよ~」との事。それが本当なら、とても救われるのですが、自分では明らかに失敗と感じているので、そうは思えず。何を持って「失敗」かといえば、思い通りに行かなかった事。指導案の中では、こういった導入から、課題に流れていって、子どもはここの目標に向かって挑戦していき達成感を…!となるはずでした。前述の通り準備の甘さから、そうはいかず。子どもは楽しめません。結果、指導案の甘さが浮き彫りになりました。

・相手が人間ということは、指導案はいくら書いたところで、結局は机上の空論に過ぎない。それなので、その人間相手にどう関わっていけるか、可能な限りの方法を、知識から、経験から、搾り出さなければいけない。

→現場は、待ったなしの真剣勝負です。こちらの思惑とは、大きく逸脱していってしまう事は多々あります。そういった時にどう対処していくか!?やはり、事前の準備は大切です。

・指導する、ということに於いて一番大切なのは、「子どもとのやりとり」

→例えば、いくら最高レベルの指導が出来たとしても、最低レベルの指導だったとしても現実的な「報酬」の額は変わらない。結局、支払われる物は同じなら、指導案なんて何でも良いのでは?イヤイヤ、失敗して何がキツイかって、子どもがもう興味を無くしてしまったのでは?ということ。終わった後に直接「また来るね」等の言葉が直接聞かれなかった事は大変重い。必ず子どもを「満足(身体的にも精神的にも知的にも何でも)」させられるのがプロってものでしょう。そうなりたい。

以上、独り言ともいえる反省でした。

とはいえ、失敗したからこその「気づき」がありました。
この「気づき」を無駄にしないよう身体に覚えこませて、次回に望みたいと思います。

失敗は人を成長させます。
失敗っていいものですね!!

??