仕事先の園にて。そこの職員の方と、地域の幼稚園•保育園の話になりました。

 

その、ある園で行なわれている「◯◯式(伏字ではなく、単に失念。とはいえ覚えていても出しはしないが)」というものが話題に上がりました。

その中身については、「うへー、なるほどー、ある意味見てみたいですわ」といった、お察し頂きたい感想を個人的に持ったわけなのですが(「うへー、そんなに¥」といった感想もある事を追記)、「ぜひウチの子にこの教育を!」と親のニーズがある一方、ネット上に批判サイトが存在したりと、賛否は分かれているようです。

 

個人的には、その教育、やり方に対してアレコレと意見はありますが、否定をするつもりはありません。そしてそれは、一応「教える」といった共通の土俵にいる人間として、です。

 

なぜなら、人間を相手にする以上、完璧な正解不正解を持つ教育があるとは言えないのでは?といった疑念がモヤモヤとあるからです。それは例えば、いくら批判的な意見があったとはいえ、ニーズがあり、それが何十年と続いているというのなら、何らかのの正当性はあり、批判するのは野暮なのではないか?といったところです(体罰は認められるか?といった倫理的な問題は別にして。もちろん体罰はNOですが)。

じゃあ、自分は何の確証も無しに指導をしているのか?というと、そうではなく。自分は、携わってる現場に対して、何が求められて、自分は何が提供できるのか。相手のニーズを明確にして応えていく事が、正しい在り方だと(未熟ながら)今は確信しています。

これが正しい、ではなく、何が正しい?と相手ありきの姿勢で望めば、答えの間口が広がりますよね。

そして、それこそが、その場所で求められる「専門性」であり、指導者に求められるものだと思います。自分ができる事を、必要とされているところで発揮し、それが受け入れられる。そんな状況だとすると、誰が何が正しい!なんて言えなくなりますよね。みんなが正義と言えるでしょう。

 

そのために、もっと勉強をして、視野を広げる必要があると気付かされるわけです。うへー