
指導において必要なものは何だろうか?
ある物事を教えるのに必要なのは、言うまでもなくその「教える内容」について。例えば算数を教えるなら算数について理解していなければ教えられない、という事である。それなので、専門職・専門士、所謂「先生」になるには、その教える専門分野についてを身につけなければならない(そして時には資格も…)。
ところで、修行ともいえる期間を過ごし、晴れて「先生」となった人は間もなく現場に出て活躍出来るのだろうか?知識も技術も認められて世に出たのであれば当然だろう。
しかし、「指導をする」という事は人間を相手にすることであり、一筋縄ではいかない。極端にいえば、それまで学んできた事は現場での、実践での場数にカウントされていない故に机上の空論とも言える。
教える内容は身についても、教える「技術」は身についていない。こういった部分は、現場に出て初めて気がつかされる事が多い。そして、ある程度の経験を積んでも、いくらでも掘り下げられる課題でもある。
子供を動かす法則 (教育新書 41)
向山洋一:著 明治図書
本書で述べられている「法則」は、指導において最も根本にある最重要な事柄だろう。
指導する場面では不安が付き纏う。「教える内容はこれでいいか?」「習ってきた通りに出来るだろうか?」「子どもはどんな反応するだろうか?」「ちゃんと伝えられるかどうか?」
そうして活動を進めると、子どもが思い通りに動いてくれない。「こんなはずでは…」と指導の甘さに愕然とする。
しかし、子どもを指導にする、つまり動かしていく事で失敗するのは、余裕の無さから以下の事をないがしろにしてしまっているからだと思う。
「最後の行動まで示してから、子供を動かせ」(本文より)
子どもはキチンと聞く事は出来るし理解だって出来る。なぜ、こちらの思い通りに活動が出来ないかとすると、それは「伝える」ことが出来ていないからだろう。中途半端な指導では子どもは混乱するだけである。そして、それは大人相手でも同様だろう。
本書では、子どもを動かすための「法則」を理由と実例で端的に分かりやすく述べられている。
「法則」と言うと、機械を相手にしているような無機質さを感じる人もいるだろうが、ではその人達(特に、子どもは一人ひとり違う、等といった抽象的な物言いで理解しているつもりになってるだけの人間)は自身の技術を誰にでも分かるように説明できるだろうか?「法則」とは、万人が分かるよう示せる事柄であり、プロフェッショナルの証拠である。
どのようにすれば、子どもを混乱させずに指導出来るか?本書には、学校で教えてもらえないであろう現場で磨き上げられた「実践技術」がある。