今年度に入り、自身の仕事観をアップデートさせるべく試行錯誤をしております。
以前、当ブログでも取り上げた本からヒントを得て「未来のための教育」という事柄に強く惹かれています。
上記の記事にあるような「非認知能力」を育てる教育としては、北欧やヨーロッパといった教育先進国がよく聞かれる。
その辺りを掘り下げてみようと、今回はこの本を読んでみました。
これはすごい、(本当に手前味噌な言い方だが)自分が行ってきた事とリンクする部分があり、思わず「そうそう、やっぱそうだよ!」なんて頷いてしまう部分がありました。
早速、ご紹介します。
レッジョ・エミリア・アプローチとは?
レッジョ・エミリア・アプローチとは、1945年に教育者であるロリス・マラグッツィが北イタリアのレッジョ・エミリア市に設立した学校から生まれた教育法だ。
「どんなアプローチ?」
「何か特別な物を使うの?」
「どんなやり方なの?」
教育法となると、こういったHow to的な要素に興味が行きがちだが、
「では、レッジョ・エミリアとは何なのか。それは、ひとつの「哲学」であり「理念」です。そして、革命的で、革新的で、先進的な、教育に関する思想の体型です。
つまり、レッジョ・エミリア・アプローチは方法というより概念である、とでも言えそうだ。
時系列でいうと、それよりも前にモンテッソーリ・メソッドがある。
教具と呼ばれる「物」が方法の中心にある教育法だ。
そこから比べても異質な教育法だったのではないのだろうか。
レッジョ・エミリア・アプローチの本質とは?
このアプローチの特徴は、人と人との関係性を重要視していることである。
子どもたちが集団の中でアイデアを出し合ったり、議論をしたりというように「話し合い」を経験をしていけるよう「グループ」単位で活動が進められるように配慮がされている。
もちろん、同じグループにとどまるのではなく、子ども自身がそこから得た経験をもとに、自分から他のグループ、他者へと相互的な関わりが持てるようになれることが目指されている。
「いずれにしても、レッジョ・エミリアの理念からいえば、私たちがしなければいけないことは、子ども達に何かを「教え込む」ことではありません。子どもひとりひとりが持っている能力を認めて、それを愛情と信頼をもって見守り、支えてあげることなのです。」
つまり、関わる大人側は「やらせる」のではなく、子どもが自分から「やれるようになる」ことを手助けするのである。
それなので、レッジョ・エミリア・アプローチでは、明確な「こうする」というHow to的な方法は、そもそも考え方が違うのではないのだろうか。
「でも、レッジョ・エミリアの学校で教育にあたる人たちは、創始者のロリス・マラグッツィが唱えたことを、ただ機械的に繰り返すということは決してしません。そうではなくて、彼らはつねに、子どもの「学び」についての研究を重ね、教育現場での自身の経験を活かしながら、教育学と教育手法に貢献し続けているのです。」
子どもたちが自由に考え、相互に関わっていく環境を提供するということは、大人側にも【自由に考えていける力】が必要だ。
果たしてこれは日本の教育に馴染めるのか!?
レッジョ・エミリア・アプローチは「教え込む」という答えが先に出ているアプローチとは真逆にあるといえるでしょう。
日本の教育は、これまで学力重視のやり方できています。
「◯◯ができるようになる」ということが至上主義となっている現状。
もしかすると、まだ日本の教育には合わないかもしれません。
「子どもが、どのような姿に育つことが望ましいか?」
もちろんこれは指導者側の大人の数だけ意見はあると思います。
しかし、本来それを決めるのは大人ではなく「子ども自身」のはずです。
「レッジョ・エミリアの理念が本当に生かされた幼児教育の場では、子ども達の側から生まれるアイディアがきちんと尊重されて、教師はそのアイディアに対して、それがきちんと継続する道筋を与える役回りに徹していなければならない。」
子どもが自分で自分のことを考えていけることを、このアプローチでは目指しています。
そういったものが自信となり、基礎となっていわゆる「勉強」にむかっていけるのだと思います。
子どもが自分から学んでいこうとする姿!すばらしいと思います。
そのために、大人側の心づもりにレッジョ・エミリア的な気付きがあると、教育は変わっていくのかもしれません。