いきなりエンディングから始まる映画が存在するのかは知ったことでは無いが、あるとしたらそれは味気ないモノだろう。導入があって展開し、結びとしてのエンディングだから締まるのだと言える。

物事も、きっかけがあるから成り立つ。リトミックのような理論も同様で、成り立ちがあり、方法が確立され受け継がれている。現在行われているリトミックが、どういった扱い(特に日本においては)をされているかはさておき、どういった姿になっていようと、そこには考案者(というか創始者というべきか)の理念である「基礎」が存在する。

「リズムと音楽と教育」
エミール・ジャック=ダルクローズ:著 板野平:監修 山本昌男:訳 全音楽譜出版社
リトミックの生みの親であるダルクローズの論文集である。リトミック(というのは彼の教育の中の主要な一部分を指しており本来は総括してダルクローズ教育・メソッドと呼ぶ)を考案するまでのいきさつや、理論、自身の展望などが綴られておりリトミック講師を志すのであれば必読の書といえる。

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ただし、この本には「方法」は記されていない。難解な理論が並べられているのみである。それなので、「とりあえずリトミックやるべ」と安易に手を出すと火傷するであろう(画一的な手遊び歌本などと並んで保育コーナーにこの本が置いてあったりするのが可笑しい)。
なぜなら、ダルクローズは理論の一人歩きを懸念したからである。「方法」を形として残す事をせず、弟子達に直に教え、教育を広めた。現在、世界中で均一な水準の教育が保たれているか?といった事は野暮な話だが、ダルクローズ協会が世界中で運営されていることを見れば窺い知れる。

読み進める上で気付かされるのは、ダルクローズの教育に対する「基礎」が置かれているポイントがリトミックの「理論」ではないことである。
教師であったダルクローズは、生徒たちの伸び悩む音楽的資質を目覚めさせる方法として、
「…私はやがて、本来リズミカルな性質のものである音楽的感覚は、からだ全体の筋肉と神経の働きにより高まるものである、と考えるようになった」
とリトミックを考案するに至った。
しかし、
「明日の教育は、改造であり、準備であり、再適合であらねばならない」
と述べているように、教育者としての理念がそもそもの出発点であることがわかる。

ダルクローズはまた、子どもに対する教育に「喜び」を与える事に注目している。
「”楽しい”との違いは、それが存在の恒常的な状態となっていること。それを生んだ時にも出来事にも左右されないこと。私たちの身体機構を統合する部分となっていることである」
用意された場面で与えられるだけでは身につかない。子ども自身が、身体も心も「体験」をして感じた事こそ意味がある。つまり、受動的なものを与えられても上辺だけの「楽しさ」、能動的なものを与えられてこそ真に経験となり「喜び」となる、ということであろう。
教育者として、いかに「喜び」を与えて成功経験をさせるかが技術のポイントとなろう。このあたりは、以前このブログで紹介した「遊び」にも繋がっていると思う。

ともあれ、リトミックを志すのであれば必携となる本である。