「遊び」はハードウェアとソフトウェアの見方が出来ます。では、それは何を指しているのかと…
ソフトウェアは「形式」
たとえば、二人で2メートルの距離をおいて「キャッチボール」で楽しむとします。
キャッチボールは、
「相手にボールを投げる」
「相手がボールをキャッチする」
「相手がボールを投げる」
「ボールをキャッチする」
の繰り返しです。この繰り返しは「形式」と見る事ができます。
このキャッチボール、遊びの構造的に見ると、具体的な「モノ」としてボールがあり、内容として「形式」があります。
つまり「モノ」はオモチャだったり、歌だったりと一つのアイテムであり、「形式」は遊ぶための流れだったりします。
それなので、この場合「モノ(ボール)」はハードウェアとして、「形式」はソフトウェアとして見る事ができます。
さて、「遊び」は基本的にハードウェアとしての「モノ」を間に挟んで「形式」に乗って進めていくことになります(鬼ごっこなどモノが必要でない遊びは、「身体」そのものがハードと言えるでしょう)。
この、形式に指導者側がが上手に関わっていくことで、遊びは何倍にも楽しくなっていきます。
では、リトミックなど指導者はどのようにして子どもと関わっていくべきでしょうか?
上手な指導は、課題を「教え込む」のではなく、「遊ばせていく」ものだと思います。
つまり、活動を遊びとして捉えます。
こちらの関わりから発展を促す
「遊び」の発展はハードウェアの更新、またはソフトウェアの更新で繰り広げられる、と言えます。
キャッチボールを(子どもと遊んでいる、と仮定して)、ある程度続けていくと、そのうち慣れてきて遊び方が上手になってきます。そして「飽き」がやってきます。
指導において、この「飽き」が蔓延して続けた場合、子どもからすると「やらされてる」になり、活動に興味も集中も無くなってきます。
そこで、遊び(活動)を発展させます。
発展でさらなる「楽しみ」を
例えばボールを変えてましょう。
もっと大きいボール、小さいボール、固さの違うボール、変わった形のボール…投げる物(ハードウェア)が変わっただけでも遊びは新鮮さを取り戻します。
例えば条件を変えてみましょう。
距離を広げる、ボールを必ずバウンドさせて投げる、必ず山なりに投げる、キャッチの時は両手を交差させてみる、利き手の逆で投げてみる…条件が一つでも変わると「形式(ソフトウェア)」も変わってきて遊びは新鮮さを取り戻します。
遊びの様子を見て、どちらを更新していくか?ココを見極めるのがプロの大人(特に子どもと関わる事を仕事とする人)だと思います。
では、指導におけるプロはどんな発展をさせていくのでしょう??
遊びを新鮮にするには「ソフト」が大切
仮にハードウェアの更新ばかり、つまり色々なボールを使っていったとします。
そうすると、ボールが変わった瞬間は楽しいでしょう。しかし、「飽き」はすぐにやってきます。
なぜなら、「ボールを投げる」といった「形式」自体が変わってないからです。
そこでソフトウェアの更新が「遊び」を、よりスリリングに、楽しいものにしていきます。
かつ、お手軽です(例に出た、「色々なボールを用意する」って大変ですよね…)。
時には、ハードウェアの更新も必要になるでしょうが、そこの見極めはプロのさじ加減でしょう。
また、療育的な事を含ませた場合は「遊び」を発展させる目的に、子どもの「発達」を視野に入れていきます。
例えば、遊びのルールを一段階だけ上げることによって、より高い力が必要になってきます。
それこそ、ソフトウェアの更新が、より有効になってきます。
子どもの能力を引き出していくためにソフトウェアである「形式」を変えなければ、いつまでたっても同じ事の繰り返しでしかないのですから(そのうち子どもが投げ出すと思います)。
もちろん、常に大人が介入する必要はありません。時に、こちらが考えもしないアイデアを出してきたりと、まさに子どもは遊びの天才です。
子どもは自分の力で(または友達同士で)「遊び」を発展させていく事ができます。なんでもかんでも、大人が関わっていくのは野暮です。
それなので、「遊び」の様子を伺いつつ「ココゾ!」といった時に、そっと遊びの発展を促していく。
そして、指導においては、子どもが楽しんでいるものが、実は課題ごとだった、としていけとよいでしょう。
そんな黒子のように子どもを見守ったりフォローしていける人こそ本当の指導におけるプロ「遊び=指導の達人」でしょう。
次回は遊びの構造をリトミックで考えて見たいと思います。
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