先日、当ブログをご覧頂いている方からメールを頂きました。内容は親子リトミックについてのご質問です。 [もっと読む…] about 親子リトミック、「やり方」よりも重要な「関わり方」
保育
「わかりあい」と「わかちあい」
この間の記事で「提示」について触れました。
昔のブログで、似たようなことを記事にしていたので再掲。
「声掛け」のコツ
リトミックの活動は、基本「音楽」によって進められるものであり、それ自体が「提示」だったり「指示」だったりします。
とはいえ、まったく無言で進められる訳ではありません。
やはり「言葉」によるやりとりが必要になってきます。
リトミックの場面に限ったことではありませんが、普段、私達は子どもに対して適切な声掛けが出来ているのしょうか??
子どもとのコミュニケーションの中で、どれだけ「対等」な接し方が出来ているのかを、普段から意識しなければなりません。
コミュニケーションは「わかりあい」「わかちあい」そして「共有」することです。
例えば、対等な大人同士であれば互いの足らない部分をフォローしつつすればコミュニケーションは成立するでしょう。
これが大人と子どもの場合だったら?
当然、子ども発信のものは、大人のそれとちがい未熟なものです。
しかし、大人であればその未熟さをフォローする事は出来ます。
では、大人発信のものを子どもは上手くキャッチ出来るでしょうか?
当然、子どものその力も未熟なものです。
それなので、やはり、大人がフォローする必要があります。
子どもが受け止められるよう発信をするのです。
キャッチボールに例えると、全力投球ではなく、ゆるやかで取りやすいボールを投げるのです。
…指導においても同じです。子どもが分かりやすい指示・提示をするべきですよね。
子どもは、基本的にこちらの言葉は分からないとして、
分かりやすい言葉か?
一回で理解できるか?
長すぎないか?
足らなすぎないか?
自分は、活動の重要な場面に対して、指導案の段階で「セリフ」を箇条書き程度に考えておくようにしています。
子どもとの会話は、簡単なようでムズカシイ!子どもと関わる「プロ」であるのならば、声掛け一つに的確さを求めていきたいものです。⇒なにより自分に強く言い聞かしてます…
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「順番を待つ」という活動
音楽を使った活動は、リトミックのように「音楽を学ぶ」以外にも「社会性を育む」、といったアプローチにも有効です。
例えば、「順番」といった事で幼児期の子どもに対して活動を行うとすると…
「順番を待つ」ことの必要性
「順番」ということは、乳幼児期から既に経験することです。
おもちゃの取り合い、なんて場面では「順番ね!」なんて言葉がどこからでも飛び出してきます。
順番、とはどういうことでしょう?
そのまま「順」に回っていくことですが、この「順番」を理解するまでに、
- 自分の欲しいものがある
- 自分以外の欲しがっている他者がいる
- この人の「次」が自分
- 自分の「次」もある
と、社会的な概念に気づいた上で、見通しが持てないといけません。
「順番」は社会に出たら、必ず出くわすもので生きていく上で必要な要素です。
もちろん、子どもは「遊び」を通してそういった社会性を身につけていくのですが、こうした部分に苦手さ、がある子は「待つ」ことが難しい場合があります。
音楽の活動で、そういった事へアプローチしていき、「療育」とまでは言いませんが、経験をしていくことは可能です。
音楽活動での「待つ」場面
例えば、輪になって(列でも可能ですが、輪のほうが子ども視点で何が行われているか把握しやすいです)指導者は歌に合わせて1人づつにタンバリンを差し出していき鳴らさせます。
歌がある事で流れができて、全体を乗せていくことができます。
そして、一つの「タンバリン」がだんだん回ってくることが見えることで、おのずと順番を待つことになります。
この「順番」はもっと音楽を高度に使っていくことで活動を発展させていけます。
例えば、音楽がAパートとBパートで出来ている構造であれば、予め2グループに分けて担当を振り分け、パートごとに何か行う、といった流れです。
音楽の構造的にABAであれば、「今は自分たち、次はあなたたち」と順番を回していくことになります。
「順番待ち」で役立つ楽器
最後に、「順番」を回していく、といった活動で役に立つアイテムをご紹介します。
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例えばスティックを1人一本持つ、という前提であれば、「配る場面」で一人ずつに手渡し、「鳴らす場面」では上記のような活動で、「回収の場面」では順に集めていく、というように「順番」が必要になるシチュエーションをたくさん配置できます。
遊びの構造3「リトミックを【遊ぶ】方法」
リトミック活動とはいえ、子どもにとっては「遊び」にならなければ活動は意味を成さなくなってしまいます。
楽しく「遊べて」こそ、はじめて経験として身に付いていきます。
リトミックの指導はソフトウェアの更新が重要。
例えば、童謡のような短い一つの歌にも様々な音楽要素があります。
音の高低、強弱、テンポ、リズム、和音、メロディ、フレーズ、形式、etc…
それらを、ダルクローズ・サブジェクトとして一つ一つをテーマにした「活動」を行う。
つまり、一つの歌や音楽(ハードウェア)から、様々な活動(ソフトウェア)を生み出していく。
それがリトミック指導者の仕事であり指導になる。
そして、それぞれのテーマは関連性を持っており、まとまって一つの目標に向かっていく。
これら一連の流れを「遊び」にしていきます。
ソフトウェアを生み出すのは、その指導者の力量次第
感覚だけでやってのけられるものではありません。
勉強、経験を積んでない人には難しいものです。
また、豊富なアイデアを生み出すために、関連分野や得意分野以外にも通じておく必要があります。
例えば、オルフやコダーイといった音楽教育にも関連があります(実際にダルクローズと関連があります)。
音楽療法も面白いです。日本でメジャーな音楽療法の歌唱療法では、対象者との関わり方について勉強になりますし、ノードフ・ロビンズの音楽療法では、音楽の使い方にとても驚かされます。
他にもスポーツだったり、テーブルゲームだったりと、なんでもアイデアとして取り入れられるはずです。
なにより、
リトミックでは、音楽を「遊び」から深く体験していき、中身を理解していく事を目指します。
そのために、普遍的なハードウェア(ダルクローズ)を用いて、ソフトウェアの進化をさせていかなければなりません。
根拠が明確なほど説得力が増すように、「なぜ、これをやるのか?」という問いに、いつでも答えられるよう、理論の部分も大切です。
ただ、そうして導き出したものが正解とはいえません。現場で、実際に子ども達が「遊べて」こそです。
アイデアが机上の空論にならぬよう、研鑽していくべきです。
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遊びの構造2 「遊びを【ハード】と【ソフト】で捉える」
「遊び」はハードウェアとソフトウェアの見方が出来ます。では、それは何を指しているのかと…
ソフトウェアは「形式」
たとえば、二人で2メートルの距離をおいて「キャッチボール」で楽しむとします。
キャッチボールは、
「相手にボールを投げる」
「相手がボールをキャッチする」
「相手がボールを投げる」
「ボールをキャッチする」
の繰り返しです。この繰り返しは「形式」と見る事ができます。
このキャッチボール、遊びの構造的に見ると、具体的な「モノ」としてボールがあり、内容として「形式」があります。
つまり「モノ」はオモチャだったり、歌だったりと一つのアイテムであり、「形式」は遊ぶための流れだったりします。
それなので、この場合「モノ(ボール)」はハードウェアとして、「形式」はソフトウェアとして見る事ができます。
さて、「遊び」は基本的にハードウェアとしての「モノ」を間に挟んで「形式」に乗って進めていくことになります(鬼ごっこなどモノが必要でない遊びは、「身体」そのものがハードと言えるでしょう)。
この、形式に指導者側がが上手に関わっていくことで、遊びは何倍にも楽しくなっていきます。
では、リトミックなど指導者はどのようにして子どもと関わっていくべきでしょうか?
上手な指導は、課題を「教え込む」のではなく、「遊ばせていく」ものだと思います。
つまり、活動を遊びとして捉えます。
こちらの関わりから発展を促す
「遊び」の発展はハードウェアの更新、またはソフトウェアの更新で繰り広げられる、と言えます。
キャッチボールを(子どもと遊んでいる、と仮定して)、ある程度続けていくと、そのうち慣れてきて遊び方が上手になってきます。そして「飽き」がやってきます。
指導において、この「飽き」が蔓延して続けた場合、子どもからすると「やらされてる」になり、活動に興味も集中も無くなってきます。
そこで、遊び(活動)を発展させます。
発展でさらなる「楽しみ」を
例えばボールを変えてましょう。
もっと大きいボール、小さいボール、固さの違うボール、変わった形のボール…投げる物(ハードウェア)が変わっただけでも遊びは新鮮さを取り戻します。
例えば条件を変えてみましょう。
距離を広げる、ボールを必ずバウンドさせて投げる、必ず山なりに投げる、キャッチの時は両手を交差させてみる、利き手の逆で投げてみる…条件が一つでも変わると「形式(ソフトウェア)」も変わってきて遊びは新鮮さを取り戻します。
遊びの様子を見て、どちらを更新していくか?ココを見極めるのがプロの大人(特に子どもと関わる事を仕事とする人)だと思います。
では、指導におけるプロはどんな発展をさせていくのでしょう??
遊びを新鮮にするには「ソフト」が大切
仮にハードウェアの更新ばかり、つまり色々なボールを使っていったとします。
そうすると、ボールが変わった瞬間は楽しいでしょう。しかし、「飽き」はすぐにやってきます。
なぜなら、「ボールを投げる」といった「形式」自体が変わってないからです。
そこでソフトウェアの更新が「遊び」を、よりスリリングに、楽しいものにしていきます。
かつ、お手軽です(例に出た、「色々なボールを用意する」って大変ですよね…)。
時には、ハードウェアの更新も必要になるでしょうが、そこの見極めはプロのさじ加減でしょう。
また、療育的な事を含ませた場合は「遊び」を発展させる目的に、子どもの「発達」を視野に入れていきます。
例えば、遊びのルールを一段階だけ上げることによって、より高い力が必要になってきます。
それこそ、ソフトウェアの更新が、より有効になってきます。
子どもの能力を引き出していくためにソフトウェアである「形式」を変えなければ、いつまでたっても同じ事の繰り返しでしかないのですから(そのうち子どもが投げ出すと思います)。
もちろん、常に大人が介入する必要はありません。時に、こちらが考えもしないアイデアを出してきたりと、まさに子どもは遊びの天才です。
子どもは自分の力で(または友達同士で)「遊び」を発展させていく事ができます。なんでもかんでも、大人が関わっていくのは野暮です。
それなので、「遊び」の様子を伺いつつ「ココゾ!」といった時に、そっと遊びの発展を促していく。
そして、指導においては、子どもが楽しんでいるものが、実は課題ごとだった、としていけとよいでしょう。
そんな黒子のように子どもを見守ったりフォローしていける人こそ本当の指導におけるプロ「遊び=指導の達人」でしょう。
次回は遊びの構造をリトミックで考えて見たいと思います。
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遊びの構造1「遊ぶことはなぜ必要?」
子どもは「遊ぶ」事が仕事だ!なんて耳にした事があります。
では、その「遊び」から培われるモノって何でしょう??
特に小さい子ども(乳幼児)にとって「遊び」は発達・成長に深く関わってきます。
遊ぶ事はいいことだらけ?
具体的に言うと、動きから「運動」の発達。それによって「身体」の発達。
外の世界に対する「認知」の発達。関わりによる「言語」「社会性」の発達。
何より遊ぶ事での「情動、欲求」の発達。
こうして考えると、
とはいえ、子どもは、これらを一人で吸収するのではありません。大人と一緒に関わることで獲得していくのです。
「遊び」が上手な大人と一緒だと、子どもも「遊び」が上手になります。
しかし「遊ばせてる」だけの大人と一緒だとどうでしょう??
子どもと関わる大人(親だったり、何か教える人だったり)、そしてもちろんリトミック講師は「遊び上手」であるべきです。
それも、
遊びを「構造」として捉えると??
「遊ぶ」ことって、言ってみれば「内容」より、関わりによる「構造」がキモになってくるのだと思います。
特に子どもと関わる事を、お仕事にしている人にとっては尚更です。
自分は小学校からハタチくらいまでゲームが大好きでした。丁度、所謂ピコピコといったファミコンから、プレイステーションという、技術の進化による、ゲームの進化をリアルタイムで体験してきました。
でも、さすがに年を重ねるにつれ、飽きてきた部分がありました。
というのも、機械が進化してもゲームの内容が同じ歩幅で進化していないと感じたからです。
極端に言えば、「ドラゴンクエスト」など有名な作品でも絵は綺麗になっていくけど、やっている事は今までと同じ、と感じたのです。そうしてゲームとは疎遠になってきました。
つまり、ゲームの本体である「ハードウェア」が進歩してもゲームの中身である「ソフトウェア」が進歩しないことには「遊べない」と感じたのです(私にとって、ですが)。
なぜゲームの話を持ってきたのかというと、「遊び」も、その構造を考えるとハードウェアとソフトウェアの見方が出来ると思うのです。
リトミックにも遊びが必要
子どもは、「遊ぶ」ことで様々な事柄を学びます。
楽しんで遊んだ「経験」が何よりも自分の身になるのです(大人もそうだと思います)。
すると、リトミックにもやはり遊びは必要です。子どもが楽しそうに活動に参加する姿と、お勉強させられている姿では、どちらがあるべきだと思いますか?
次回は、遊びを「構造」として見て、いかにリトミックの指導に反映させていくのか?をお伝えします。
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